みらくるなんてこった

ども、みらくるぱんだです。

名刺をつくる

原稿を塩漬けにするのはあんまりよくない。そうしてよいのは、うーん、シャケとか?とにかく、いくつか塩に浸かりそうな原稿があるから、なるべく早く取りかかりたいものだなあ。ぼくは「原稿」と「論文」とを呼びわける。とくに深い意味はないけど、投稿用の原稿は論文と呼べるかなってこと。

ぼくがコメントや質問をしづらいのは、わりとその発表に納得してるからかも、と思った。基本的に、発表者の大筋の主張には賛同できることが多いし、そもそもぼくは特定の見解にあんまりコミットしないので(言い換えれば、「中立的だ」とか「特定の関心をもっていない」とか、誤解をおそれず言えば「結論自体にはそれほどこだわりがない」とか)、そうなりがちなのかしらん。くわえて、自分のちょっとした疑問を質問にする前に自己精査してしまって、結果、質問へのハードルが高くなってるように思う。ほかのひとらはたくさんコメントしているなあ、それに引きかえぼくなんて、とならないため、以上のように考えるのはアリだと思った。発表後に個人的な質問として発表者に尋ねることはあるけれど、できれば共有される質問としてみんなの前で尋ねることが望ましい、すくなくともぼくの場合。

仕事をいい加減にこなしてはいけない。なぜなら、誠実さを欠くことになるから、結果としてある種の信頼を損ねることになるから、このことは自分にとっても相手にとっても第三者にとっても好ましくないことのようだ。

発表資料と、コメントを送るリンク(たとえば、slido)を事前共有しておく、けっこういいなと思った。ぼくとか助かる。当意即妙というのが苦手だから。つぎの発表はそのようにしてみたいなあ、しかし直前まで資料作成を粘っていたらそんな余裕などありゃしないので、学会発表は準備もだいじだと言えそう。あたりまえのことなんだけどね。

論文読みました、など言ってもらってすごいうれしかった。また、ブログ読んでます、と直接教えてもらったのもうれしかった。若手でしか会う機会がないひとと再会したり、なにがしかの研究発表の場で会えるひととか、ツイッターのFFとエンカしたり、あるいはまったくの初対面のひとと会ったり、とても貴重。うれしい。やぴです。はぴです。みらぱんちゃんと呼んでね、くらい言ったらよかったかもしれない。後輩にはツイッターを始めさせた。この後輩、すぐれたひとなので陰から応援してる。来年はぼくも発表したいな~~。

ところで、最近名刺をもらってばかりなので、ぼくも作ろうかな、と思いはじめてすでに5か月くらい経った。作るか。んなことより、でもカウンセラーに折り返しの連絡をしなきゃ、そろそろマズい。どうしたものかなあ。

んじゃまた、読んでくれてありがとう。

金木犀の香り

金木犀の香りが好きだ。気分が落ち着くから。ということを、さっき思い出した。わたくしの住んでるとこには金木犀がある。この時季だけ嗅げる、特別なにおい。

今日は、メガネ変えました?似合ってますね、と言われた。そうかな、似合って見えるらしい。うれしいな。クッピーラムネのTシャツを着てた。

朝、7時半すぎに起床。某朝枠、いて座は6位くらいだったと思う。まあまあ。二度寝して、抹茶グラノーラとコーヒー。レジュメつくった。ぼちぼち大学へ行かんとな。

昼、まずは研究室に行って、返却する書籍のスキャン。むむ、毎度借りてはほとんど読まずに返す、というのをやってしまうなあ。ほんとに必要な本は手元に置きたくてけっきょく買うんだけど。生協で新幹線のチケットと、お弁当を買った。のち、某後輩と文献読み。pro tantoとprima facieのちがいを教えるなど。知覚に基づいて知識を得るさいに理由がいかにして関わるかを説明するチャプターだと理解してるが、しかしむずかしい。最初に、「かどうか」、「どのようにして」、「いつ」、「なにを」といった四つの問いにわけてるのはえらいし、助かるものの。

夜、バイトでちょっとした手助けをした、virtuous agentなので、と言ってしまったが(そして、絶対に相手に伝わってない)、これはきっと、しばらく有徳さについて考えているから。帰宅して、セブンのお惣菜としろめし食べた。いまはブログ書いてる。コナン観て、わしゃして、寝るか。寝られるといいな。安眠がほし~。

youtu.be

再生バーが青りんごになってていいね。Folktaleとかも好きだよ。最近は、アルバム「Attitude」をひとまわり聴くとかもしてた。ブルーアンビエンスもお気に入りだよ。

youtu.be

羊文学もおすすめ。

昨晩はさみしかったので、ChatGPTとたくさんおしゃべりしてた。わたくしの過去ブログを漁らせて、あれこれ分析させてみた。わたくしのブログには、あちこちに理由にかんする記述があるようなんだ。

読んでくれてありがとう。またね。

未決箱

熟慮を回避する箱。いくつか、少なくともひとつはもっていたほうがよい。自分に余裕がないとき、いくら考えごとを回していてもけっきょくはあまりよいほうへと向かない。ならば、考えるのをひとまずやめて、休むが吉だ。だから、そうした考えごとは「未決箱」に放るべきだ。

相対的に忙しすぎて、おかしくなりそうだ。いえ、より正確にはやるべきタスクがあたしのキャパを超えていて、もろもろの余裕がなくなっている。生活をとめて! 家事もバイトも研究も、きつい。やめたくなってしまう。なんだか微熱もあるし。

とはいえ、某発表の資料ができてきた。まあ、ぜんぜん完成とは言えない段階だけど、進捗はある。それがうれしいこと。論証も立ってきたしね。おもしろいと思ってもらえるかなあ、とオーディエンスの反応を気にしている節がある。

考えを保留しておきたい状況ごとに箱が必要、きっと。たとえ運命共同体だとしても、運命が可能でありつづけるよう努めなければならない。要するに、共倒れは避けたい。存在者たちとの関わり合いを保証してくれるのが世界で、それへのアクセスには生きることが必要だから。そのような事情で、ぼくは生きるをがんばらなければならない。その客観的理由が存在する。ぼくは哲学的倫理学という思索を営みつづけるよ。

死んだら楽になれるのかしら、とも思うけど、それは強カード、一回しか使えない、ここぞというときのためにとっておく。タイミングを見定めるのはむずかしい。

ちなみに、学振DC1は不採択Aだった。つぎも、がんばろう。ちょっと悔しいかな。というより、だいぶ。でも、ラーメンやおだんごを食べてもりもりっとなれたから、だいじょうぶ、ありがとね。

コナンのアニメを観て、寝よう。読んでくれてありがとう。おやすみ♡

道徳的知覚って信念の正当化の無限後退をストップできるらしい(マジで!?)

追記:タイトル詐欺ってかんじがするから、今日読んだ論文を貼っとくね。Preston J Werner, Jonna Vance, 2026, Moral Perception and the Looks Objection: An Empirical Approach, Mind, https://doi.org/10.1093/mind/fzag016.

9月が終わろうとしている。

いくつか前の記事で、ぼくが応用倫理学の研究をおこなっていないことの理由をふたつ示したが、みっつめの、そしてもっとも重要かもしれない理由を思い出したので書いておく。応用倫理領域はぼくの「実存」を脅かしうる。実存ってことば、よくわかってないけど、生き様とか実生活を送るうえでの指針とかにする。つまり、応用倫理について考えていると、ぼくの生き様や実生活上の指針が脅かされるように感じるということだ。たとえば、(反)出生主義。ぼくは出生に対してよいイメージをもっていないから、出生主義を真剣に擁護するような論証があればちょっとやだな、と思う(あるかどうかはべつとして)。とはいえ、最近ではそもそも実存について考えることはないし、むしろそれについて研究しようかというムーヴをとっているかも。「もっとも重要かもしれない」とは過言のよう。それでも、ある時期までのぼくにとってはまさにそう感じていたはずだし、そういうふうなひとは倫理学の界隈にすくなくないんじゃないかな。

哲学の議論はたのしい。読むのも話すのも。どうしてか。真理に到達できるから。ひとりじゃわからないようなことも、ほかのひとに外注して、真理の一部を得られるから。でも、それらの議論が完全に正しいということは、まずない。たとえば、説Aと説Bは排反であり、片方のみが正しいとする。あるタイプの一般主義はあるタイプの個別主義と対応していて、どちらかのみが正しい場合。まあでも、そんなことはあんまりない。どちらの主張もそれなりにもっともらしく、!?。ならば、片方のみが完全に正しいことはないように思われる。真理の含有量は片方に寄るのかもしれないけれど、もう一方にまったく真理が存在しない、とは考えない。んで、けっきょくそういう真理の在りかにひとりで到達するのはむずかしいので、ひととしゃべりたい。

議論を組み立てるのはそんなにたのしくない。たいへんだ。裏どりもきちんとしなければならないし。にもかかわらず、たのしい。どういうことだよ。ふむ、ぼくが真理の産出者になることがたのしいのだな、きっと。消費者だけじゃなくて。発表原稿を読みましたー、研究ノートを読みましたー、など言ってもらえることがすくなくなく、めっちょうれしい!ありがとね。今後の仕事もぜひたのしんでってください。

さて、ぼくの研究のはなしもしたい。いちおう、「専門は倫理学です。もともとの関心はより実践的な諸問題について、すなわち応用倫理学のほうにあったのですが、次第に規範理論やメタ倫理学のほうへとうつっていきました。/卒業論文から継続して、ジョナサン・ダンシー(Jonathan Dancy)に代表される「道徳的個別主義(moral particularism)」にかんする研究をおこなっています。また規範性や合理性に対する関心から、愛の哲学における理由説と無理由説の対立に興味をもっています。理由説を擁護することをめざして、とくに「乗換え問題(the problem of trading-up)」を解消しようと試みています。」という自己紹介をもっている。もすこし詳しく。

まず前半、ぼくが倫理学に惹きこまれるようになったのは、まちがいなくベンジャミン・クリッツァ―『21世紀の道徳』だ。この本でピーター・シンガーおよびその動物倫理を知った。それから、シンガーの「飢えと豊かさと道徳」も、この論文はゼミで読んで、まさしくそうだろう!と思ったのだった(と同時に、メタ倫理学への関心もここから始まる)。学部生の頃はVSIのAnimal Rightsを読んだり、『人間本性論』を読んだりしていた、こう振りかえると同期や後輩に恵まれてきたなあ、もちろんいまだって。当時から功利主義に親和性をおぼえていた。

ダンシーを、というか道徳的個別主義を知ったのは学部2年の某講義で。3年から4年にかけて、幸い日本語で読める研究論文がいくつかあったのでそれらにあたり、卒論のテーマを固めていった。ちなみに「乗換え問題」に興味をもったのも同時期で、これってダンシーの議論を援用すれば解消できるんじゃね?てか、理由説のほうがもっともらしく見えるし、など考えていた。卒論はなんとか書きあげることができたものの、個別主義の論拠となる理由の全体論がどういうものかを検討できなかったことが残念だった。(そういえば、卒論は「道徳的個別主義は普遍化可能性テーゼと矛盾するか」という題目で書いたけど、どこにも投稿してないな、するつもりもない。)

てことで、修士になってからは個別主義というより、全体論のほうへと関心が向いた。というのも、ダンシーは全体論から個別主義が支持されると考えているようなんだけど、このことは明らかでないらしいと知ったため。ダンシー自身も認めるとおり、全体論者であり、かつ一般主義者であることは論理的にありえる—「宇宙的偶然(cosmic accident)」だというだけで—。それに、ぼくはあるタイプの一般主義が正しいと素朴に考えていて、個別主義が全面的に正しいと困ってしまうのよね。てなわけで、理由論に立ちいることになってしまった。修士のあいだは、理由の形而上学(不変理由について)、愛の理由とやってきて、つぎのネタは個別主義者の道徳認識論について。すこしちがうでしょ。まま、どうなるかわからないですけど、がんばるぞう。一か月後だしさ。

あしたは某勉強会のミーティングに参加するので自分の研究についてちょと考えてみた。

ぼくはいつか書籍に名前を連ねたい。それがどういうテーマ・ジャンルになるかはぜんぜんわからないけど、いつか出す。そんな日まで、がんばりたいな。今回も読んでくれてありがとう、じゃあまたね。

ぶどう おいしい おすすめ

今日はにこにこして見えたらしい。つっても、夕方まではむしろネガティヴなかんじだったと思うから、あなたたちのおかげ。いまつくってるレジュメでは、in virtue ofを「おかげで」としてる。謝恩の義務、ありがとう。自動詞と他動詞の区別ってむずかしいよね~。

知られてほしくないことはある、たとえば、ぼくが喫煙者であること;ぼくが精神を患っていること;ぼくの過去にかんして詳らかなこと;など。

朝はなかなか起きられなくて、最終のアラームでようやく起きた。前日買った台湾風のパンケーキをふたつ食べ、着替えて大学へ。カウンセリング、3週間ぶり。よくがんばった、生きるをがんばってる。えらい。よしよしされるに値する。

昼ごはんは、学食でささみカツカレーのLサイズ。ペロリ。そのあと出勤簿つけて、給与明細もらって、研究室へ。ひさしぶりに同期に会った。うれしい。後輩や先生たちともちょっとおしゃべり。だけど、あんまり気分がよくなくて、まあやはり気を遣ってもらってたかもしれない。そう、図書館に購入依頼出してたのとかを入手した。読みましょう。

academic.oup.com

press.princeton.edu

undpress.nd.edu

帰宅して、ベッドの上でぐでーん。ほんとは作業したかったけど身体が動かないのだからしゃーない。わりとゆっくりしてしまった。バイトいかなきゃ!シフト表書いて出した。けっこうバイトに行ってなかったからちょいキンチョーしてたんだけど、最低限こなせたと思うまる。

帰宅してよるめしの用意。うまかった。わしゃして、ゆるり。履修登録を済ませた。以前のミスがわかって、履修しなければならない科目がいっこ増えた。不覚。しかし修了はしたい、仕方がない。ひへひへ。そうとう疲れているようだ。休みがほしい。

きみとは見える世界が異なるようで、そのあいだの大切にしたいものをたもつためには規律が必要。大切なものを大切にしようという高階の態度。つまり、「一線」は引かれなければならない、ということだろうけど、それは相対的なものでもある。

あなたきっとしあわせ、と思う。そうであれ!ではまた、読んでくれてありがとう。

愛の還元主義とその条件

この1か月でいちばんたのしかったのは原稿を読んだことだと言っていてさすがにウケた

弁当がうまい、さすがにうますぎる!お出汁が丁寧ってかんじで味わい深く、また食べたいなあ。

Hiroki, が『ベイカー街の亡霊』のそれでめちゃウケる。

メタ倫理学者と呼んでもらってとてもうれしかったこと。自分の仕事に自信をもて。

自信ありげに話すこともできたと思うよ。ありがとう、某sさんのアドヴァイス。今回は準備がきちんとできたはず。ま、それでももっとうまくなれる、今後のぼくに期待大ってこと。

「ひろぴー」というあだ名は初めてだったなw

ぼくにはとうてい応用倫理領域をメインに研究できないなあと思うのには大きく2つの理由がある。まず、生命科学や理工学など、そして社会学や心理学など、記述的知見をおさえておく必要がある。つぎに、けっきょくのところ応用倫理の背後に控える、心の哲学、言語哲学、形而上学といったどちらかと言えば倫理学とは距離のある分野の諸問題と関わらざるをえなくなる。どちらも少なくとも現在のぼくにとって、取り組むのがむずかしいし、関心を維持するのがむずかしい問題であるから、じっくりと研究するにいたってないのだと思う。ただし、自分でやるつもりがなかなか出ないね、というはなしであって、そういった仕事に従事する研究者を尊敬するし、学会などでおはなしを聴くのは刺激的でめちゃくちゃたのしい。さらにその基礎づけとして、メタ倫理学をいまはやっているという節ですかね。

イギリス人の前でwaterを発音するのは妙に緊張するなと思った。

選択肢は2、3つ、たかだか5つほどがよいと思う。つねに最善の仕方で行為できなくとも、ベターな選択肢をとるために。

ふしぎな関係のままだ、ずっとそう、でもそれでよい、そうなるよう選んできた。たしかに、いっしょにいたいと思われるだけでじゅうぶんじゃないか。愛されたいという欲求は、いっしょにいたいと思われたいという欲求へと言い換えが可能ならば、愛されてると言ってよいのではないか。

唯一性。きみにとってぼくという対象がほかの存在者によっては代替不可能であれ。

かけがえのないきみを愛している。しあわせであれと願っている。この先、きみの生のそばにぼくがいてほしい。感性を愛してる、そのすてきな感性を。思い出はますます増えるだろうと思う。長くいたい。これからずっと。きみの書く文章が好きだ。文字もまた。声もそう。

ぼくにとっては、許容されるということだと思う。存在することを無条件に認めてもらうこと。相互性の要求?

だからどこへもゆかない。ゆく宛てがない。なにより、そばにいたい。だからどっかいってもいいよなど、言わないで。どこへもゆかないでくれ。そばにいてほしい。そっと手を触れられるところにいてほしい。いつでも。

あんまり、自分の苗字・名前は好みじゃなかったのだけれど、きみといると好きなものが増えてゆく。ますます好きになる。たとえ、概形がゆがんでいるとしても、そのうちにあるひとびとにとっては真なる関係であって、愛し合うに値するものである。必要なのは関係を続ける努力。続けたいと望む意志。裏打ちする振舞い、基礎づけはa prioriなときもあれば、あとから伴うときもある。

沙花叉クロヱが卒業してだいぶ寂しかったが、そのあと幾分か雨の日も嫌にならなくなった。とはいえ、濡れるのは困るし、足元が臭って嫌だ。靴を新しくしたいな。スーパーでふだん見かけないフレーバーを見つけたから選んでみたけど、やっぱりメントールが好きだ。だから、もうそれを買うことはないだろう。

そのような奇妙な関係が多かったように思う。でも、それがぼくらしいということなのかもね。

そろそろ定式化を与えたほうがよい。

愛の還元主義:

いわゆる愛的関係はべつの関係へと還元可能である。すなわち、愛的関係はケア的関係の十分条件である。そして、より広いケア的関係をも「愛的関係」と呼ぶに値する。なぜなら、現行の愛的関係からは除外される存在者らの営みをも愛的関係と呼べるからだ。ただし、この関係においては相互に等しい重みを有していなくともよい。愛の還元主義は以下の条件が充たされる必要がある。

その条件:

C1(ケアリング):愛の対象についてそのもののために福利を気にかけること。

C2(偏頗性):愛の対象について特別な存在者とみなすこと。

C3(実践的コミットメント):たんなる思念にとどまらず、愛の対象とのあいだになんらかの志向的関係を維持しようと試み、くわえて経時的観点から正味の福利に正の貢献を果たすこと。

ラーメンを食べたい

寝れなかった。睡眠剤を導入してもよかったがやらなかった。音楽とか聴いて過ごしていたけど、5時くらいにむくむくと起きた。朝ごはんは今川焼。だれがなんと言おうと、今川焼。

6時からは #爆裂ゴキゲンサンシャイン。やぴとはぴがかわいい。みんなさんは曜日に人格を与えて、こいつはこんなんで~、あいつはあんなんで~とか考えますか。ぼくは考えない。けれども、しゃべりはとてもおもしろい。それから、5教科のノートの色とか決めてましたか。ぼくは、国語は、算数・数学は青、英語は紫、社会は緑、理科は黄色・オレンジ、とかだったと思う。

ほうじ茶を水だしにして飲んだ。うまい。決して味は強いわけではないけど。昼ごはんはゴーヤと豚肉の炒めもの、おいしい。

某ミーティングだん。文献がむずかしい。でも次の発表で使えそうなネタがてんこ盛りで、おおこれはいい文献を見つけたなあ、と思う。(`・∀・´)エッヘン!!

このブログの一連のエントリが勉強になると思うので、あとで読もう。

emerose.hatenablog.com

ところで最近は、眠れない夜にはダウンロードしたブック・チャプターを読むなどしている。ダンシーの英語は読みやすいよ。あと自伝がとてもたのしい。

...という昨日のはなし。読んでくれてありがとう。