この1か月でいちばんたのしかったのは原稿を読んだことだと言っていてさすがにウケた
弁当がうまい、さすがにうますぎる!お出汁が丁寧ってかんじで味わい深く、また食べたいなあ。
Hiroki, が『ベイカー街の亡霊』のそれでめちゃウケる。
メタ倫理学者と呼んでもらってとてもうれしかったこと。自分の仕事に自信をもて。
自信ありげに話すこともできたと思うよ。ありがとう、某sさんのアドヴァイス。今回は準備がきちんとできたはず。ま、それでももっとうまくなれる、今後のぼくに期待大ってこと。
「ひろぴー」というあだ名は初めてだったなw
ぼくにはとうてい応用倫理領域をメインに研究できないなあと思うのには大きく2つの理由がある。まず、生命科学や理工学など、そして社会学や心理学など、記述的知見をおさえておく必要がある。つぎに、けっきょくのところ応用倫理の背後に控える、心の哲学、言語哲学、形而上学といったどちらかと言えば倫理学とは距離のある分野の諸問題と関わらざるをえなくなる。どちらも少なくとも現在のぼくにとって、取り組むのがむずかしいし、関心を維持するのがむずかしい問題であるから、じっくりと研究するにいたってないのだと思う。ただし、自分でやるつもりがなかなか出ないね、というはなしであって、そういった仕事に従事する研究者を尊敬するし、学会などでおはなしを聴くのは刺激的でめちゃくちゃたのしい。さらにその基礎づけとして、メタ倫理学をいまはやっているという節ですかね。
イギリス人の前でwaterを発音するのは妙に緊張するなと思った。
選択肢は2、3つ、たかだか5つほどがよいと思う。つねに最善の仕方で行為できなくとも、ベターな選択肢をとるために。
ふしぎな関係のままだ、ずっとそう、でもそれでよい、そうなるよう選んできた。たしかに、いっしょにいたいと思われるだけでじゅうぶんじゃないか。愛されたいという欲求は、いっしょにいたいと思われたいという欲求へと言い換えが可能ならば、愛されてると言ってよいのではないか。
唯一性。きみにとってぼくという対象がほかの存在者によっては代替不可能であれ。
かけがえのないきみを愛している。しあわせであれと願っている。この先、きみの生のそばにぼくがいてほしい。感性を愛してる、そのすてきな感性を。思い出はますます増えるだろうと思う。長くいたい。これからずっと。きみの書く文章が好きだ。文字もまた。声もそう。
ぼくにとっては、許容されるということだと思う。存在することを無条件に認めてもらうこと。相互性の要求?
だからどこへもゆかない。ゆく宛てがない。なにより、そばにいたい。だからどっかいってもいいよなど、言わないで。どこへもゆかないでくれ。そばにいてほしい。そっと手を触れられるところにいてほしい。いつでも。
あんまり、自分の苗字・名前は好みじゃなかったのだけれど、きみといると好きなものが増えてゆく。ますます好きになる。たとえ、概形がゆがんでいるとしても、そのうちにあるひとびとにとっては真なる関係であって、愛し合うに値するものである。必要なのは関係を続ける努力。続けたいと望む意志。裏打ちする振舞い、基礎づけはa prioriなときもあれば、あとから伴うときもある。
沙花叉クロヱが卒業してだいぶ寂しかったが、そのあと幾分か雨の日も嫌にならなくなった。とはいえ、濡れるのは困るし、足元が臭って嫌だ。靴を新しくしたいな。スーパーでふだん見かけないフレーバーを見つけたから選んでみたけど、やっぱりメントールが好きだ。だから、もうそれを買うことはないだろう。
そのような奇妙な関係が多かったように思う。でも、それがぼくらしいということなのかもね。
そろそろ定式化を与えたほうがよい。
愛の還元主義:
いわゆる愛的関係はべつの関係へと還元可能である。すなわち、愛的関係はケア的関係の十分条件である。そして、より広いケア的関係をも「愛的関係」と呼ぶに値する。なぜなら、現行の愛的関係からは除外される存在者らの営みをも愛的関係と呼べるからだ。ただし、この関係においては相互に等しい重みを有していなくともよい。愛の還元主義は以下の条件が充たされる必要がある。
その条件:
C1(ケアリング):愛の対象についてそのもののために福利を気にかけること。
C2(偏頗性):愛の対象について特別な存在者とみなすこと。
C3(実践的コミットメント):たんなる思念にとどまらず、愛の対象とのあいだになんらかの志向的関係を維持しようと試み、くわえて経時的観点から正味の福利に正の貢献を果たすこと。